今回は長旅になって、やっと福岡の自宅に帰り着いた。
「ゴー宣道場」、倉持師範のレジュメを読みながらの前半、
途中から、私にとってはレベルが高くて難しく感じてしまい、
理解が追いつかないところが出てきたのだけど、
その後のみなさんの話を聞きながら、だんだんとピントが
合ってきて、少しづつ整理がついていく、という時間だった。
コロナを通して、そもそも日本に「リベラル」なんて存在せず、
すべてが「世間」でモワアッと流れて動いていくという姿に
途方に暮れるような気分になったけど、
神との「契約」というところから生まれた概念に馴染みがない
日本人は、だいたいが「法で治める国家である」ということを、
政治家ですらほとんど理解できていないし、
だからこそ、その状態をうまく利用して、全体を誘導して、
勝手な「掟」を自発的に乱発させて自縄自縛状態にすることが
国家運営の基本的な手法にもなっているのだから、
ここに欧米風のリベラリズムを移植しようというのは無理が
ありすぎる話なのだと思う。
かといって、欧米が優れていて日本が野蛮で遅れているのか
というと、それはあまりに自虐的すぎる視点だと思う。
契約で他国の政府をガチガチに巻き上げてしまい、
がんがんワクチンを売り込んで、人々がバタバタ死のうが
まったくお構いなしの製薬会社を生み出すアメリカって
どえらい野蛮さだよねと思うし、
羊の群れのような日本という世間国家は、
その野蛮さにまったく抗えず、欺瞞にハマっていくという
最悪の道を歩んでいて、
世間国家というのは、膿んでしまうと、
どこまでも果てしなく無知蒙昧を良しとする遅れ方を
みずから選択してしまう恐ろしさがある。
平時、世間に縛られながら守られた感覚で生きている
大多数の日本人が、「世間」というものの危なっかしさを
自覚することができれば、変わっていくのだろうけど、
そこは何度も何度も、手を変え品を変え、テーマが変わっても、
自覚している人間が、警戒して論じていくしかなさそうだと
思った。
そして、「おいおいこの状態、違憲ですよ!」という発信が、
もっと政治の世界に活発に起きるような土壌ができなきゃ
いけない。
今回は場外乱闘に参加できなかったのだけど、
倉持麟太郎危険人物説が、すごく気になってる。